| 大笹原神社本殿
大笹原神社本殿 1棟。
室町時代の応永21(1414)年再建。
昭和2(1927)年解体修理。
昭和36(1961)年国宝に指定。
・大きさ、構造
正面3間、側面3間、一重、入母屋造、向拝1間、檜皮葺、附、棟札11枚。
手前の1間が外陣、奥の2間が内陣。
内陣の後列の1間を内々陣として3室に区切り、牛頭天王(須佐之男命)、八王子、婆利采女(櫛稲田姫命)を祀る。
屋根は傾斜が急で反りが大きい。
外陣の柱の上には植物文様や宝珠の浮彫のある蟇股、外陣の正面と脇には繊細華麗な花狭間による斜格子戸をはめている。
格子戸の鴨居の上に密教の法具「三鈷杵」の透かし彫りを施す。
脇障子には若葉の浮彫をし、腰長押の下には仏殿で用いる蝙蝠狭間が連なる。
細やかで多様な意匠が室町文化の華やかさを今に伝えている。
彩色はほとんどが剥落し、素木の印象を与えるが、蟇股などには往時の彩の跡も見受けられる。
・縁起
大笹原神社は鏡山の西のふもとにある古社で、辺りに平安時代から宿駅「篠原」があった。
一帯では良質のもち米がとれ、平安時代、鏡もちを朝廷に献上した。
大笹原神社は寛和2(986)年に越知諸実が社領を寄進して社殿を創建、応永21年に戦国大名佐々木六角氏の重臣馬淵定信氏が中心となって現在の本殿を再建した。
氏子による強固な宮座が天王神事を中心とした宮座行事を継承し、永正4(1507)年から続く頭人(神事を担当する家の主)の差定状(指名通達文書)が残されている。
本殿の右には「寄倍の池」と呼ばれる沼がある。
水不足の時、神輿を二基沈めて祈願したところ霊験があり、以後はいくら日照りが続いても池が枯れることはないという。
朝廷に鏡もちを献上したいわれから鏡もちの元祖を祀る「餅の宮」(篠原神社)も境内にある。
・大笹原神社の文化財
国宝の本殿のすぐ左に建つ篠原神社本殿(応永34=1427=年建立、一間社隅木入り春日造、檜皮葺)は重要文化財。
宮座の古文書などを野洲市立銅鐸博物館=野洲市辻町57−1 電話 0775874410、月曜休館(祝日の場合は開館)=に展示。
・拝観
境内の拝観は自由。
本殿の拝観は普段は受け付けていない。
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宮座と生きる室町の華麗な社
鏡山から連なる緑深い杉の木の重なりの裾に、室町時代造営の大笹原神社本殿が静かにたたずむ。
風雨にさらされて色彩の底から抜け出した素朴の姿は、清浄な空気を辺りに漂わせる。
神社の建築としては珍しいという入母屋造。
すっと下がった屋根が、中の透けて見える斜格子戸とともに「綺麗」といった印象を生む。
能、狂言を生み、水墨画が広がり、書院造の座敷で生け花などが誕生していく時代。
平安時代から、宮廷に鏡もちを献上し続けた大篠原の里の気風をとどめているかのように、本殿は清浄感の中に繊細華麗の風を帯びる。
正面から一間の外陣を囲んだ斜格子戸は、方形を斜めにつなぎ、その中に円を描いて現代のモダンな金属の格子を思わせる。
格子の内側には御簾が下がる。
板戸はない。
風雨の強い日は、横なぐりの風や雨が格子をくぐって御簾を揺らし、社殿の外陣に入り込む。
天地自然そのものを神と仰ぐ、日本古来の信仰そのままに、風も雨も光も、戸に遮られることなく社の内外を行き来する。
古くから武将たちが参拝して、それで立派なお社が残ったらしい。
近くには源義経が元服をしたと伝えられている場所もある。
大きな祭礼は年に二回、豊作祈願の春祭りと秋の例祭だけだが、毎年旧暦で、正月二十日の夜に提灯をともして、神社にいらっしゃる八柱の神さんの内牛頭天王さんを除く七柱の神さんを地域の氏子の長老さん(頭人)が順に当番で自宅へお迎えして、家で毎日、塩やお水をお供えする。
期間は家によって違うが、六月十五日までとか、正月三日まで、正月二十日までとかまでお守りしていく。
そうした宮座行事が今も続いている。
室町時代から続く神事で頭人を務めた家の記録が残る。
斜格子戸の中の神は、格子を抜け、氏子の家、村や里、田の稲の上を満たして歩むのだろう。
五月の春祭りでは、地域の小学生たちが、木立に囲まれた本殿や拝殿の前の広場で「ションガイナ踊り」を奉納する。
ここ近年に復活した踊り。
農と祭りと神と人と古来の歴史。
鏡山と周囲に広がる水田の上をたくさんの風が渡り、里の人々の営みの間を国道が抜けて走る。
その道は昔も今も京につながる。 |